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大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)5193号 判決

原告 新井一郎こと朴一郎

右訴訟代理人弁護士 金谷康夫

同 岡村渥子

同 山下潔

右山下潔訴訟復代理人弁護士 浜田次雄

右岡村渥子訴訟復代理人弁護士 徳永豪男

被告 大阪府

右代表者知事 左藤義詮

右訴訟代理人弁護士 道工隆三

同 中務嗣治郎

同 加地和

同 山村恒年

同 赤坂久雄

同 井上隆晴

同 田原睦夫

主文

被告は原告に対し、金二万円およびこれに対する昭和四一年五月一二日から支払済みにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金二〇万円およびこれに対する昭和四一年五月一二日から支払済みにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、当事者の主張並びに答弁

一  原告主張の請求原因

1、原告は朝鮮民主主義人民共和国(同国においては公務員の違法不当な職務行為によって他人の人権、財産が侵害された場合、当該公務員の所属の機関がその損害を賠償し、これは一切の内外国人に適用され、被害者の国籍を問わないことになっている。)国民であるが、昭和四一年五月一一日午後八時五〇分ごろ、枚方市岡新町三丁目一番地中瀬呉服店前(以下「本件第二現場」という。)に小型貨物自動車(トヨタライナ一、九〇〇CC)を停車させ、小用をたして自車にもどったところ、その場に居合せた大阪府枚方警察署に勤務する警察官細見征四郎、同坂口悠介らが「こんなところに車を止めて駐車違反じゃないか、酒を飲んでいるのか、免許証を見せろ」などと原告に問いただした。これに対し原告が「小用をたすためにほんのすこしの間停車していただけだ。こんな小さな駐車違反をとり上げて、さっきのことはどうなんだ。」と反論したところ、右警察官は「駐車違反をして何をえらそうなことを言いよるか」と叫んで原告の胸座をつかみ「交番所に来い」と命じて原告を同署管内の京阪電車枚方駅前巡査派出所(以下「本件派出所」という)に連行したうえ、同派出所内の休憩室(別紙図面の土間、三帖と記載のある部分)において、同所に居合わせた大阪府の警察官四名と共に(計六名)、こもごも原告を投げ倒して馬乗りになったうえ原告の首をしめつけたり、首すじをつかんで立たせたり、腕をねじ上げたり、原告の顔、腕、腹部等を殴打、蹴る、突く等して原告に集団暴行のかぎりを尽くすとともに右警察官のある者は原告が所定の四輪運転免許を受け、また、原告には前科がなかったにもかかわらず、「お前は三輪免許で四輪の運転をしている」とか「お前は昭和二九年に電線泥棒をしている。前科者が何をえらそうなことをいうか」という暴言をはいて著しく原告の名誉を毀損した。

2、原告は、右集団暴行により左口腔内噛創、頸部捻挫、左膝関節痛等の傷害を受け、かつ原告の名誉を著しく傷つけられたが、これによる原告の精神的損害を慰藉すべき額は金二〇万円が相当である。

3、よって、原告は被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき前記慰藉料金二〇万円およびこれに対する本件不法行為の発生の翌日である昭和四一年五月一二日から支払済みにいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

≪以下事実省略≫

理由

一、先ず、原告主張の国家賠償法六条にいう相互保証の有無について判断する。

原告が朝鮮人であることは本件記録に徴して明らかであるが、朝鮮が現在朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国とに分れていることは顕著な事実であるから、朝鮮人についてその本国法としていずれの法律を適用すべきかは問題である。右両国の対立抗争はいずれも朝鮮の全域を自国の領土とし、全朝鮮民族を自国の国民とし、互に朝鮮を正当に代表する政府であると主張するにあり、これは国と国との争いというよりもむしろ朝鮮半島全域を一つの国家とするその中における二つの政府の対立的存在というべきものであって、現実には右両国はそれぞれ独自の法律制度を有し、ほぼ三八度線を境とする南・北両国の各勢力地域内においてのみその実効性が担保されていると認められる。ところで、本件記録ならびに本件全証拠によるも、原告主張のように原告が朝鮮民主主義人民共和国民であると認めることはできず、かえって、≪証拠省略≫によれば、原告は日本国において出生したが、その本籍は朝鮮忠清北道清州郡(現在の清原郡)であると認められ、右忠清北道清州郡が大韓民国の現実の施政地域内に存在することは顕著な事実である。したがって、右のような事情において原告が国家賠償法の適用を受けるためには大韓民国において相互の保証がなされておればよいと解するのが相当である。当裁判所の調査によれば、大韓民国政府の維持する法律の一つとして一九五一年九月八日公布施行された国家賠償法があり、これによると公務員がその職務を行なうにあたり、故意または過失により法令に違反し、他人に損害を加えたときは、国家または公共団体がその損害を賠償する責任があり(同法二条一項)、この法律は外国人が被害者である場合には相互の保証があるときにかぎり適用される(同法五条)ことになっている。したがって、原告は国家賠償法により損害の賠償請求をなしうる者である。

二、そこで、原告主張の本件派出所内での警察官による暴行(及び名誉毀損)の有無について、その前後の経過を含め判断する。

1、昭和四一年五月一一日午後八時五〇分頃、本件派出所勤務の細見征四郎、坂口悠介両巡査が、本件第二現場における駐車違反等の件で原告に対し右派出所へ同行するよう求め、原告がこれに応じ同派出所へ行ったことは当事者間に争いがない。

2、≪証拠省略≫を綜合すると、次の各事実が認められる。

(一)  原告が、昭和四一年五月一一日午後八時三〇分頃、小型貨物自動車を運転して大阪府枚方市岡本町の本件第一現場にさしかかった際、乗用車が駐車(運転者訴外田中某外同乗者不在)していて進行できなかったので、原告は、自車から降りて右乗用車のクラクションを鳴らしたところ、近くの書籍店野村呼文堂から訴外小野修一(右田中運転の乗用車に乗っていた者)が出て来たので、同人に対し原告が「こんなところに止めて困るじゃないか」といったところ、小野は、「そんな言い方はなかろう」という意味のことを言い口論中、同人が原告の左頬をげんこつで二回ぐらい殴った。そこへかねてから原告と顔見知りであった右田中が出て来て「なんや、新井(原告の別名)やないか」といいながら原告と小野との喧嘩をおさめた。仲直りして原告が自車に戻った頃、通行人から連絡を受けた本件派出所勤務の前記細見、坂口両巡査がかけつけ、原告及び右田中、小野から事情を聴取したところ、知合い同士の口論ですでに話しがついたとのことであったので右両警察官はその場に駐車中の数名の自動車の交通整理をして午後八時五〇分頃帰途につき、原告も相前後して自車を運転してその場を立去ったこと。

(二)  そして原告が自車を運転して本件第一現場から約七〇メートルぐらい西方の本件第二現場にさしかかったとき、尿意をもよおし道路わきに駐車して小用をたして自車に戻ったところ、たまたま本件派出所に帰る途中の前記細見、坂口両巡査がその場に通りかかり、原告に対し「こんなところに車を止めて駐車違反じゃないか、免許証を見せろ」と注意したところ、原告は、「こんな小さな駐車違反をとり上げて、さっきのこと(前記田中某の駐車違反および小野の暴行を不問にした事実を指す)はどうなんだ」と喰ってかかった。これに対し細見巡査は、「お前、駐車違反していて何を言うのか」と言いながら原告の肩に手をかけたところ、原告は「何をするのか」と言いながら同巡査の肩のあたりを押した。そこで細見巡査は、「公務執行妨害だ交番に来い、話をしよう」と言って免許証を交付させた上、本件派出所へ同行を求め原告は自車を運転して本件派出所に赴いたこと。

(三)  原告は、本件第一現場における前記田中(小野同乗)の駐車違反(交差点近接地で駐車していた)に比し、自己の駐車違反はごく短時間であり通行車輛も少く極めて軽微であると考え、それであるに拘らず、問題とされたことに憤激し、同派出所において語気荒く本件第一現場における右田中らの駐車違反をとり上げて細見巡査らを難詰した。たまたま婦人が同派出所に道を尋ねに来たこともあって、同巡査らは、通常警察関係者以外は入れない休憩室に原告を入れ原告と細見巡査とは共に椅子にかけ相対した。そのとき原告がタバコを喫おうとして口にくわえたところ警察官の一人が「お前ここをどこと思うとるのか、警察官をなめるな」といいながら、原告のタバコを取り上げて捨てた。このようなこともあって、原告は「こんなところに何故連れて来るのか」等語気荒く怒鳴った。この頃、原告の異常な怒声につられて同派出所に居合せた坂口、山田、佐藤の各巡査が同派出所の公廨から右休憩室に来ていたのであるが、細見巡査が原告に対し駐車違反の点について話そうとしたところ、憤激した原告は立ち上がり、同巡査の肩のあたりを突いたので、同じく立ち上がりかけた同巡査は不意をつかれてよろめいた。そこで同巡査も憤激し、原告の左顔面を一回殴打し、さらに同所に居合せた他の巡査も「お前何えらそうなこと言うてるのや、前科者、警官なめとるのか」という意味のことを言いながら或る者は原告の左下腿部を蹴ったり、また、他の者は腕を首のあたりにまわして締めたり等して原告を抑圧し、また、坂口巡査は原告の腕をだき、山田巡査が原告の肩を押えて休憩室内の畳敷きの場所に坐らせようとして押えつけたりした。これに対し原告は、細見巡査に「その拳銃を貸せ、お前のドタマぶち抜いたるさかいに」などとわめきちらした。また、同巡査が原告に対し、「三輪の免許で四輪に乗って何えらそうに言うてるのか」と言ったのに対し、原告は、「何ぬかしてるか、お前ら目玉あったら大きな目あけて見ろ」と怒鳴り返したりした。この頃、原告の口からいくらか血が出ていたので、一人の巡査が湯のみに水を汲んで来て口を洗うよう原告にすすめたが、原告はこれを拒否し、自ら同所の流し場で口をすすいだりした。その後も、原告は本件第一現場における田中の駐車違反、小野の暴行等に比し、原告の違反は極めて軽微である旨語気荒く言い続けた。その間に尾形巡査らが原告についての氏名照会を免許証と外国人登録証にもとづき二回した。しかし原告には警察で三回調べを受けたことはあるが、前科はないことが判明した。そして約四~五〇分ぐらい同派出所に居て、帰る際も原告は「お前ら覚えとけ」といいながら立ち去ったこと。

(四)  原告は、右派出所を出てから徒歩で約一〇〇メートル離れた屋台に行き、コップ酒一杯を飲み、それから再び同派出所前に引返し自動車で枚方警察署に行き、藤本同署次長に対し、原告が本件派出所で細見巡査らに暴行された旨を話し、次いで有沢病院に行き、頼国壌医師の診察をうけ、同医師は原告のうったえにもとづき診察した結果、外見的に明らかな症状としては下口唇の内側に歯形のついた傷が一つと左頬が少し腫れていた(なお左下腿部もわずかに腫れていた)ので左口腔内噛創と診断し、その旨診療録に記載し、原告は口腔内の傷の手当と頬にシップをしてもらって一旦帰宅した。しかし忿懣やる方なく、妻と共に近くに住む友人の本田東雄方を訪れ、就寝中の同人に同行を頼み三名で同夜一二時頃、再び本件派出所に赴き、細見巡査らに謝罪を要求し、「殺してやる」等過激な言葉で同派出所の警察官らに対し怒鳴りちらした。これに対し右警察官らは時折り「返れ」等言う程度で、まともな応答はしなかった。そして他の事件が発生した旨の連絡で右警察官らが出て行ったので、原告等は一先ず抗議をあきらめて帰宅したこと。

(五)  原告は、その後も同月一三日頃までの間に枚方警察署に二回ぐらい、本件派出所に三回ぐらい抗議に行き、また同月一七日前記の有沢病院に行って診断書の交付を求めその際首筋の痛みを訴え診断を乞うたが、係の近江達医師は、原告の首筋に外傷もなく、外見的な症状もなかったので治療をせず、唯頼医師の書いた当初の診療録の左口腔内噛創とある記載に加えて頸部捻挫と記入し、そして、病名左口腔内噛創、頸部捻挫、自五月十一日至五月十七日の一週間通院加療を要する旨の診断書一通を記載して交付したこと、その際左口腔内噛創の部分を診察したところ、全治して傷痕が認められなかったこと、原告は同月二三日、同病院を訪れ左膝関節の痛みを訴え、係の石島医師の診察をうけたが同医師は治療を要する程度とは診断せず何らの治療を施こさなかったこと。

≪証拠判断省略≫

三  右認定事実からすると、原告は被告大阪府の公権力の行使に当る公務員(本件派出所勤務の警察官)の故意による暴行をうけ、これにより右認定の傷害をうけたものであるというの外はなく、したがって、被告は右暴行傷害により原告のうけた精神的苦痛に対する慰藉料の支払義務があること明瞭である。

なお、原告は、本件派出所内で警察官が「お前は三輪の免許で四輪の運転をしている」とか、「お前は昭和二九年に電線泥棒をしている。前科者が何をえらそうなことをいうか」など、全く事実無根の暴言をはき、原告の名誉を著しく傷つけたとして、この事をも損害賠償の要件事実として主張するもののごとくであるが、右の事実は、前認定のとおり認められるけれども、もともと名誉毀損は、不特定多数の者に聞知される状況下(ただし、現実に聞知されたか否かを問わない)になされた場合に成立するものと解すべきであるところ、本件の場合、前認定のとおり、本件派出所内で通常一般人の出入りできない休憩室でなされたものであるから、不特定多数の者に聞知される状況下になされたものであるというを得ない。

したがって、原告のこの点の主張は採るを得ない。

四  よって慰藉料額について判断する。

原告は、前認定の暴行、受傷による精神的苦痛を慰藉するには金二〇万円が相当である、と主張するので按ずるに前認定の事実関係(前記認定の暴行傷害は、原告が前記警察官らの事件処理に不公平の感をいだいたからではあるが、原告の挑撥的言動に基因する面が多分に存する)、右傷害の部位、程度(通院治療を要したこと、あるいは休業したこと等についての証拠はない)、その他本件弁論にあらわれた諸般の事情を斟酌すると、原告が蒙った精神的苦痛を慰藉するには金二万円をもって相当と認める。

五  以上の次第で、被告に対する原告の本訴請求は、金二万円及びこれに対する昭和四一年五月一二日(本件事件発生の翌日)以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で正当としてこれを認容すべきも、その余は理由がなく棄却を免れない。

よって民訴法第八九条、第九二条を適用して(仮執行の宣言はその必要なきものと認めこれを付さない)主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上三郎 裁判官 矢代利則 大谷種臣)

〈以下省略〉

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